自分が丸ごと鏡に写った姿って、一瞬なら許せるけどずっと写っていたらどうよ?!って思いませんか?
例えば、ゴルフレッスンのスイング動画。
うまくいった時は、嬉しいしコーチから褒められると更に嬉しいです!
これを動画に撮られていたら、これ見よがしに家族に自慢して、「どうよ、ちょっとは上手くなったと思わへん?」とドヤ顔で言いたいところです。
しかし、ヘタクソの動画だったらどうでしょうか?
コーチングセッションを受けるようになってから、自分を可視化することが増えてきています。
例えば、自分のコーチとのセッション中に「私には〇〇のように感じます。」とか、「それって、こういうことのように思うんですが…」とか、「言っていることと、やっていることに私はズレを感じるんですけど、これを聞かれてどう思いますか?」とか、たまに自分の望み通りのフィードバックが返ってこない事が往々にしてあるんです。
その度に、私の中で矛盾の化学変化が起こり
『え〜〜〜!!そんなつもりじゃなかったのに!』『そんな風に思われてるんだ…』『意外だった、へーーー』などの言葉と共に、この矛盾の穴をどうやって埋めようかと考えたり、そんな風に思われているんだと、ある意味自分の知らない部分に触れる事が出来ます。
確かに、この触れられたく無い部分、昔は、どれだけそのフィードバックで傷ついたかわかりません。
相手が意図的に傷つけるのではなく、その言葉自体受け入れられ難い自分がいたんです。
例えば、ゴルフのスイング動画で失敗している動画を目の前で、ありのままに映されたらどうでしょうか?
目から火が出るぐらい恥ずかしいし、落ち込みますよね。
「いや〜〜なんで無様なお尻!おなか!でのスイング!!へっぴりごしで、グラグラしている。いや〜〜スイングもさることながら、なんなのこの体型!!」ってね。
で、そのことを封印するかのように、動画を削除しちゃう訳ですよ。
でも、コーチングセッションを重ねていくうちに、自分の嫌な所を見るのは大嫌いだったし、今でも好ましくは思わないけど、ここのフィードバックをちゃんと受けとめられないと自分の成長は望めないことがわかってきたんですよね〜。
ここを理解できるようになるまで、丸2年はかかったかなぁ。
要するに自分を受け入れられるようになるまでにね。
重要なのは、下手な自分を見るのではなく、今、この自分を見る事が大事なんです。
上手くいかなかったスイング動画だとすると、失敗したスイングがなぜ悪かったのかがよくわかるので次の改善点にもつながるし、少しは成長した自分も一緒に受け入れて嬉しくなる。
失敗したことは、本当は、封印したい部分ですが、敢えて目を向けて受けとめてみる。
ここに気がつけただけでも、コーチング続けて良かったと思う今日この頃。
誰かに注意されて渋々変えるより、自分で気づくことが出来る等身大の鏡のようなフィードバックは重要ですね。
ということで、明日はゴルフ!頑張ってプレイして参ります!!