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私の生まれた家は、おじいちゃんやおばあちゃんもいる7人家族です。

結婚してからも、当初は義理の妹が2人いたので4世代、多い時は9人で暮らしており、最近、ようやく子供たちが離れていき自由を感じているこの頃です。

私が小学校卒業する際に、丁度良いタイミングだから家族旅行を春休みにしようということになりました。

行く場所は、「サンフラワーで行く船の旅、九州阿蘇長崎雲仙3泊4日」です。

はじめて乗る大型船サンフラワー号の船内で1泊し、翌日は熊本で1泊、阿蘇、雲仙、長崎を観光バスで周遊しながら一泊の後、飛行機で帰る行程です。

私は船も、飛行機も全く初めてで、こんな大きな機体がどうして飛んだり、船が海で沈んだりしないのかが不思議でなりませんでした。

初めて泊まったホテルは、ふかふかのベッドとソファーがある洋室と和室の和洋折衷部屋でした。
特に嬉しかった事は、このベッドで寝れたことです。
当時は家では布団が主流でしたから、大きなベットで夜飛んだり跳ねたりしながら弟と騒いだことを覚えています。

長崎ではグラバー邸など西洋の建物建築に感動し、ちゃんぽんやカステラなどを楽しみ、宮崎でのフラダンスショーを見ながらの夕食は格別でした。

初めての飛行機や船、そして7人の家族と共に過ごした四日間は私にとってかけがえのない思い出です。

金額のことは全く覚えていませんが、7人分費用を旅行会社に支払うとなるとかなりの金額だったと思います。

家長であるおじいちゃんの財布の紐は、いつも堅く、自分で縫った縞の布財布を持ち歩いていて1円たりとも無駄にしないお金の管理をしていましたから、日常はそんなに裕福では無かったです。なので、この旅行は本当に私にとってゴージャスな旅行でした。

実は、小学校の夏休みには、京都府網野町に家族で海水浴に行っていましたが、中学以降はクラブ活動などが忙しく、どちらかと言うと家族で行くよりも友達と遊んでいた方が楽しかったようです。

また、おじいちゃんが肺気腫を患って入退院を繰り返し、その看病に家族が翻弄されていました。
祖父が76歳で亡くなった後は、祖父が切り盛りしていた工務店から、建築会社へと時代の流れは大きく変わり、結局父は、建築会社へ再就職したことも大きな変化となりました。

祖母は90過ぎまで元気でいてくれましたが、やはり年齢のせいもあり、母親はその介護に献身的に尽くしていたように思います。

なので、思い返してみると、これが家族で行く最後の旅行となったのです。

その時は、本当にずっとこの幸せが続くと疑いもしませんでしたから、後から振り返ってみて、あ〜〜、あれが家族総出の最後の旅行だったんだなぁ…と思うと、とても考え深いものになりました。

私が添乗員として仕事をし始めてからたくさんのご家族様と一緒に旅行をしましたが、お客様の心に残る楽しい思い出作りのお手伝いをさせていただいていると思っていたのは、こんな旅の思い出が強く影響していたからだと思います。

当時は、海外旅行といえば特別な旅行でしたし、ほんの1週間ほどの関わりではありますが、友人、家族、恋人と過ごした旅が、心に刻めるような思い出のお手伝いを関わらせて頂いた時期があったと思うと考え深いです。

なので、旅行業という仕事をし終わっていても、旅で過ごした楽しい思い出が、今もなお生き続けていることを願ってやみません。

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この記事を書いた人

michann

michann

家族 主人、子供3人
仕事 農業 花と野菜

特異な事

ホトリーダ(本が早く読めます)
親指シフトユーザー(仮免 )
生花講師(ペーパードライバー)
英語(出来ないけど、会話を根性でできます)
株(億ション目指してがんばりま〜す!ヘックッション)

美を追求してすっかり迷宮入り、たまるものはレシートと脂肪。早く脂肪届け役場に渡さないと雪だるまになりそうです。

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