先日、いつものブログメンバーからスタオバさんが、飛び立って行きました。
思いおこそせば出会ってから2年、月一回の一度も休むことなく会い続けた不揃いの林檎たちでした。
悩んだり、笑ったり、私たちは、パワー全開で語ったものです。
そして、気がつかないうちに、私たちはどんどん成長していたのです。
成長の分岐点
私には高校生の娘がいます。彼女は小学校の3年生からピアノを習い始めました。
ピアノのレッスンは週に一回で、とにかく、当時は、ピアノが楽しく弾けるようにとお願いしました。
始めは、片手のピアノで、音もぶどうのつぶのように大きくて、ただ単調なに引いているような感じでしたが、彼女の成長とともに、好きな歌の音楽を弾けるようになったのです。
おかげさまで、彼女はピアノが大好きになりました。
それから数年後、先生の家庭の事情でピアノのお稽古ができなくなりました。
彼女は、もう、ピアノが弾けない?と本当にパニックになっていたのです。
私は、彼女にあった先生を見つけるために、いろいろ探し、一ヶ月もしないうちに、いい先生が駅前で見つかったのです。
ただ一つ問題は、その先生は、好きな曲を弾かすという自由型の先生ではなくて、きっちり基礎を叩き込むという今までとは全く正反対の先生だったのです。
子供の今まで習ってきた経緯、ピアノのレベルをみていただいた後、一旦先生の方からレッスンのお断りがあったぐらい、次の先生のレッスンは、以前の先生と全く違うやり方だったのです。
しかし、子供は、数ヶ月もしないうちに先生のやり方にもなれ、私たちがよく知っている曲を引くことは少なくなりましたが、基礎が叩き込まれてきたようです。 それは、音のつぶを揃えたり、感情の起伏を表現したり、これから弾くであろう将来の曲に対しての基礎体力作りです。
予期せぬ出来事は、出会うべく出来事
このように、自分の予期できなかった出来事が、後から考えると、避けることのできないステップアップの階段だったと思うことがよくあります。 (もちろん、まだ娘はそう感じているかどうか定かではありませんが、、、。)
私達の別れもどうやら、次のステップアップの曲がり角のようですね。
大きな流れに身を任せながら、これからも私達は出会うべき人に出会えるそんな春の予感がします。