最近は、年齢と共に夜にブログを書こうとすると思考が追いつかなくなっています。
要するに、まとまらないし、集中できないのです。
で、翌日のお昼頃からその続きを書くと、ドンドン書く量が増え、気がつくと1700文字はザッと書いてしまっています。
で、半分にして2回投稿にしても良いのですがそれもまた大変なので、とにかく、投稿となるわけです。
もっと更新頻度を上げたいのですが‥‥
いやぁ〜、ついつい、書きたいことがまとまらず、ヅルヅル‥‥
昨夜の不運
しかし!これではいかん!と思い、昨日の夕方から書こうと思いMacを開けてみました。
そしたら、な、な、ん、とーーーーー。
画面が真っ黒で何も反応しません。
一応、携帯からこのようになった時の対処法をググってトライしてみましたが、反応なしです。
直ぐに、Macサポートセンターに電話しました。
電源を繋げても反応なしですから、修理の可能性が強いとのこと。とにかく、修理をしてもらわないと事が運びません。
よって、只今スマホで書いています。
ガーン(T ^ T)
これほどMacに支配されていたとは‥
私の右腕君がいないのです。
で、ブログを書けないことが、少し寂しくなりました。
え、⁇ 他のパソコンで書けって。
使い慣れていない道具はイマイチ具合が悪い訳ですよ〜〜。
でも書けないとなるととても寂しくて、ブログを書く事について考えてみました。
ブログを書くって、結構面倒くさいじゃーないですか?なのに何故、書き続けられるのか、少し掘り下げてみたいと思います。
思考が深まる
例えば本を読んで「えー話やなぁ」と思っても、ただそれだけで数日経ったら内容がいっこうに思いつかない事はよくあることですね〜。
で、書くとどうなるかと言いますと、自分の脳で、もう一度読んだことを咀嚼しないと書けないわけですよ。
自分が感じたことを、自分の言葉で書くという作業は、上手い下手は別にしまして、理解していないと出来ない、書けないことなのです。
そうすることで読書をした以上に理解度が深まります。
自分の意見が言えるようになる
文章の構成上、本の内容を書くだけでは転写になりますから、たいていは、最後に自分の思ったことや、行動に繋げる意見を述べることになります。
そうするとどうでしょう、いままでだったら右に同じの意見しかでなかった人でも、書かざるおえません。
それが、間違ってようが非難されようが、自分を出す作業になります。
ブログ筋肉がついてくる
そうこうしているうちに、書く筋肉がついてきます。
こう書けば、もっといいのではないか?
とか、ちょっとした気付きでも、風船のように膨らまして、書くことができるのです。
因みにこのブログのはしりは、Macが壊れた話からです。あー、書き出したら止まらない(笑)
人まねでは書けない
こんな文章書けたらいいなぁ〜〜と思っても、結局、自分の体験とか、生きてきた道からしか文章は書けません。
諦めてください。
人は、それぞれ素晴らしい経験を持っています。
それは、良いことも、悪いことも含めて全部です。ですから、認めてあげてくだい。
そうすることで、文章に深みが出ます。
読み手を意識する事も大切ですが、自分の文章でない文はどんなに素晴らしい文でも、何故か?心に響きません。
それは、見ず知らずの読者が一番よくわかっています。
自分軸を見つける旅
書くことを重ねていくと、自分は一体何を探しているのかが見えてきます。
10個や20個書いても出てきません。
しかし、いずれ出てきます。
何故それを言い切れるかと言いますと、5年ほど前に乱雑に書いたノートがひょっこり棚の整理をしていますと出てきまして、それを見ると、今も感じている事と同じ思いがノートの中にあります。
アンテナが立つ
自分の考えを言葉で紡ぐ作業を重ねると、ふと感じたことや思い立ったことを、文字化する習慣が生まれます。
そうすると今度は、書くことを無意識のレベルで探すようになってきます。
で、何かふとしたきっかけで、ピン!と来ることがしばしば起このです。
今まででしたら、反応していないような言葉ででも、そっか〜!?みたいなノリです。
そうすると、しめたもので、どんどん言葉が溢れ出てくるのです。
また、アイディアというセレンディピティー出会ううこともあります。
結果
ブログを書く事によって、このような体験を紡ぐことで、
自由に生きること
アイデア
戦略的行動
自分軸
つながり
を更に、体得していると感じています。
確かに、時間もかかりますが、どうせいつかは死ぬんですから、自分の生きてきた証しを残すことは、そんなに悪くはないんじゃないでしょうか
そんなことをふと感じた、6月の雨上がりでした。
Posted from するぷろ for iOS.