私がお嫁入りした時のこと〜プロローグ〜
私が結婚して、農家に嫁いだのは、かれこれ22年前の遠い昔?のことです。
人からすれば、そう感じるかもしれません。
しかしながら、私にとって、あっという間の22年だったと思います。
海外生活から田舎暮らしへ
主人にとっては、お嫁さんをもらう=家族になる、なので責任は発生しますが、生活が大きく変わるということはなかったのですが、私は旅行会社で海外添乗生活を5年程していたため、その生活から終止符を打たなければなりませんでした。
私にとって「仕事は、楽しい〜!」でしたから本当は辞めたくなかったのです。
主人の家業が農業「花作り」ということと、海外に行ったり来たりの生活では夫婦生活を営むことが困難であるため海外生活にピリオドを一旦、打つことにしました。
右も左もわからないのです。まっすぐって、どこが?
もともと、京都という観光地に住んでいたため、車を持つ必要がなく、免許も持っていませんでした。
それがですよ…
嫁いだ先から眺める景色は、山、山、山、家、道路といった具合に、信号もコンビニもタクシーですら見かけません。
◯◯さんの所へどうやっていくの?って聞いたら、「あの道ま〜すぐ行って突き当たったら左」と教えてもらっても、まっすぐって…どこが????
山の道なりをまっすぐっていうもんだから、まっすぐいくということは、ちょっとした左右にある小道は考えずに、くねくね曲がったアップダウンの道をいくということなんですね。
おまけに、通りがかりの人なんて誰もいないし(⌒-⌒; )
当時はナビも携帯電話もまだ十分に普及しておらず、迷ったら最後、私の居場所どこ?なのです。そう、自力で帰らなければいけないのです。
水、トッポントイレ、シャワー無しの生活からスタート
水はまだ水道水が家庭まで普及しておらず、井戸水の生活。
ガスはプロパンガス、トイレは水洗トイレではなく、農家住宅だったので玄関の外。
お風呂はシャワーが付いておらず、湯船からお湯を汲んで頭を洗うのです。
海外では、おうちに2つ以上のバスやトイレが付いているのはあたりまえでして、私の同僚からは、直ぐ音をあげて帰ってくると、仕事の席を空けておいてくれたほどです。
サンサンと照る太陽と闇夜の声
私が結婚した月は6月で、よく言えば、ジューンブライド(6月の花嫁は幸せになれるとか?)。
季節は梅雨から夏になるシーズンです。
初夏の日差しから、ギラギラ輝く太陽の日差しは、都会育ちの私には眩しすぎました。
何せ高いビルもなければ、排気ガスもありません。
ですから、太陽をさえぎるものがないのでサンサンと降り注ぎます。
この辺は、高原なので夏でも比較的過ごしやすいのですが、それでも、日中太陽の下でいると、くらっときてしまいます。
また、この頃になると、田植えが終わり、なみなみ張られた田んぼから、聞こえる声は、ゲロゲロ、ゲロゲロ…
そう、カエルの合唱です。
シーンと静まり返った夜の騒音は、車やバイクの音ではなく、大自然から流れてくるオーケストラ。
大声でしゃべっても、歌っても、聞いてくれるのは家族のみ。
嫁ぐというより、とりあえず、やってみる覚悟
そんな生活から早20年余り、今では、水道が通り、お風呂は窓を開けると裏山が見える露天風呂?
道に迷ってもナビと携帯電話があればお構いなし。
さすがに、買い物は車で15分程かかりますが、ネットが普及した今では、さして不自由しなくなりました。
あの時、私は何故、決断出来たのか?は、今でも不思議ですが、『とにかく、やってみる?あかんかったら、帰ってきま〜す。』という言葉と本当にスーツケース数個で、お嫁入りしてきたからだと思います。
タンスも鏡台も何も持たずに、必要な家電製品をこちらで調達するという、その当時では、「このお嫁さん、夜逃げでもしてきはったんかいな〜」の口です。
今では、これが普通ですがね。
『いつでも、スタンバイOK! いやなら出て行きます!』
これでないと、やっていけんかった!と、今でも思っています。
そして、私の道は、旅を率いるコンダクターから、農業を営むコンダクターに一歩足を運び入れたのでした。