私の名前はミチル
そう、小さい頃は◯◯子と何故つけてくれなかったんだろう?できればミチ子がよかったなぁ〜なんて思った時もありましたが、青い鳥の童話の主人公である、チルチルとミチルの幸せを探す青い鳥の冒険を読んで、同じ名前に少し嬉しかった記憶があります。
以前、神田昌典さんの講演を聞いた時に、「自分の名前は生きている間ずっと耳にしたり、目にすることばです。両親が心を込めて名ずけてくれたこの文字と音の響きに意味があるのですよ。」と言われました。
そう聞いて、私の名前も意味があるのでは‥?と思うようになり、「青い鳥」の物語を調べてみました。
幸せの青い鳥
メーテルリンクの戯曲「青い鳥」は、青い鳥を探し求めて旅した後、結局、自分の家で飼っていた鳥が青い鳥だったというお話に続きがあることを知りました。
「幸せは身近かなところにある」というストーリーではなく、最後にこの青い鳥がにげてってしまうのです。
私もこの事実を知って、がっくりきました。
いままで、幸福を追い求めてやっと手にしたストーリー。ならば、ここで終わっていて欲しかったと‥そう願わざる終えない気持ちとは裏腹に、世の中そう甘くはないのね‥という気持が混在したからです。
著者 五木寛之が語る新・幸福論では、
せっかく手に入れた「青い鳥」が、なぜ逃げ去っていったのか。
そして、そのあと、チルチルとミチルはどうするのだろう、そんなことを考えることこそ、著者メーテルリンクの意図だったように思うのです。
真実は、常に残酷です。しかし、その地点から出発する以外にはない。
「青い鳥」の飛び去ったあとの部屋に、いま私たちはいるのですから。
それでも私たちは、幸せを探している
確かに、戦後に比べて物質的にも豊かになりましたが、本当にそうなんでしょうか?
結局、人間の欲なんてきりがなく、より良いもの、より便利なもの、を求めています。それが、経済的発展を支えているのですが、その背後には飲んでも飲んでも喉が乾くような、人間の欲があります。
青い鳥がもしこの世にいて、誰もが欲しがれば、それを奪い合う争いが起きることでしょう
ならば、どこかにある‥みたいなものが一番平和なのかもしれません。
幸福のイメージはそれぞれ違っている
人によって、幸福のイメージは全く違っています。
自分にとって心地よい空間が、人と異なるように‥
ならば、心の中の青い鳥を追いつずけることが、結局、誰も傷つけずに幸せなのかもしれません。
幸せの青い鳥はいる!と信じて追い求めることが、希望に光を見つめながらいきていくことなのかもしれませんね。
もちろん、性別、民族的違い、職業によっても幸福感は違ってきます。
ですからこそ、自分の幸福とは何か?
小さな幸福を見つけて楽しむ。
それを積み重ねていくことで得られる人生の喜び。
これが、青い鳥なのではないでしょうか‥
今日のお友だち紹介
この青い鳥、私のお友だちのご主人が撮影された写真です。
彼女の趣味が野鳥の撮影だそうです。
大阪城公園内に飛んでくる野鳥の写真があまりにも素敵で、初めて見たときはびっくりしました。だって、関西の方ならおわかりだと思いますが、大阪城って大阪環状線の鶴橋と大阪の真ん中に位置しています。
そんな都会でこんな可愛いい鳥の表情が見れるなんて、ほんと驚きです。
鳥って可愛いいですね。
彼女のブログはそんな可愛いいがいっぱい詰まっています。