あけましておめでとうございます。
本年もこちらのブログと共にどうぞよろしくお願いします!!
今年の元旦は、少しの寝坊と、快晴で幕を開けました。
鏡餅の温もりと、白いごはんの現実
台所に立つと、昨日ついたばかりの真っ白な丸餅が、神様の隣で静かに新年の挨拶の出番を待っています。
例年なら、ここでおめでたい赤飯を炊くのが我が家の恒例行事。けれど、炊飯器を開けると、そこには昨日食べきれなかった白いごはんが「山盛り」に残っていました。
「ああ、今日はこれを食べなきゃなぁ…」
ふふ、と独り言が漏れます。予定していた赤飯は明日にお預け。
華やかなお祝い膳も、今年はうんと控えめです。
鈴廣のかまぼこを切って、手間暇かけた数の子、黒豆、栗を重箱に並べるだけ。
子供から「海老フライはないの?」と聞かれましたが、「今回はいい海老に出会えなかったから、次回ね」と。
かつては、定番メニューをすべて揃え、あれもこれもと欲張って作っていました。
けれど、家族それぞれが忙しく、外食も続いた昨年末を経て、ふと気づいたのです。
豪華な料理を並べることよりも、本当にお腹が空いた時に、自分が本当に「美味しい」と思えるものを適量いただく。その「平常心」こそが、今の私には一番のご馳走なのだと。
これを私は密かに「分割おせち」と呼んでいます。
一度に全部揃えなくても、三が日の間に、少しずつ楽しめばいい。
そんな余裕が、今の私には心地よく感じられます。
マチュピチュで知った、私の「本当のワクワク」
なぜ、これほどまでに「削ぎ落とすこと」が心地よくなったのか。その答えは、昨年訪れた南米の旅にありました。
マチュピチュの遺跡は、言葉を失うほど美しく、ガイドさんの解説はとても知的で有意義なものでした。
けれど、私の心に深く、鮮烈に刻まれたのは、翌日のワイナピチュ登山での、息を切らして一歩ずつ進んだあの感覚でした。あるいは、ナスカへ向かう前にサンドボードにまたがり、砂の斜面を滑り降りた、あの子供のような高揚感。
有名な景色を「見る」ことよりも、自分の体を使って何かを「体験する」こと。
豪華なホテルに泊まることよりも、砂にまみれて笑ったあの瞬間。
あの旅は、私に教えてくれたのです。
持ち物は極力減らしていい。
その代わりに、心の中に残る体験を積み重ねていくこと。
それこそが、人生を豊かにする唯一の方法なのだと。
朝風呂の記憶と、新しい習慣
ふと思い出したのは、幼い頃の記憶です。
いつもは夜に入るお風呂を、正月だけは10時頃からゆっくりと「朝風呂」として楽しむ習慣がありました。湯上がりに、まだ袖を通していない新しい服を着て、のんびりと過ごすあの幸福感。
今年は、そんな風に時間を贅沢に使いたいと思っています。 これから犬を連れて、近所のお宮さんまで散歩がてらお参りに行くつもりです。帰ってきたら、ホットクックの中でじっくり炊き上がった小豆が、温かいお膳材に変わっているはず。
最近は外出が億劫になった自分を感じていますが、それは「つまらなくなった」のではなく、「本当に欲しいものだけを選び取れるようになった」証拠なのだと、今は肯定的に捉えています。
無理にどこかへ出かける必要はない。
けれど、心が「やりたい!」と叫ぶことには、全力で体験を投じていく。
そんな1年にしたいのです。
丁寧な「今」を積み重ねる
おせちを並べ終えたあとの、静かなコーヒータイム。
夕飯は、残った白いごはんでビビンバを作ります。
お正月らしくはないけれど、今の我が家にはそれが一番しっくりくる「正解」です。
体験重視の1年。
それは、大層な冒険に出ることだけを指すのではありません。 丁寧にお餅を焼き、小豆の甘さを慈しみ、家族との団欒。楽しいことも、悲しいことも、そんな日常のひとコマを、一つひとつ「体験」として心に刻んでいく。
持ち物を減らし、心を身軽にして。 2026年、私は私の「好き」に正直に、最高にワクワクする瞬間を集めていこうと思います。
さて、そろそろお湯が沸いたようです。お宮さんへ新年のご挨拶に行く前に、もう一杯だけ、ゆっくりとコーヒーを。
