皆さんは、帰る家があることにホッとしたことはありませんか?
小さい頃の思い出です。
小学校の低学年か幼稚園児の頃だったかと思います。
お母さんと喧嘩して外に飛び出したことがありました。
も〜こんなところいやだ〜!と思ったのでしょう。景色が涙で見えなくなるぐらいくしゃくしゃの顔で家を飛び出しました。
今から考えたら大したことのない喧嘩だったのでしょう。どんなことで飛び出したか覚えてもいません。
公園で一人砂遊びをしながら、涙を流していたことを覚えています。
ちょっとした、気分はプチ家出です。
勢いで飛び出したものの、時間が経てば夕暮れと共に心はさびしくなっていきます。
日中はあれだけ賑やかだった公園もふと、周りを見渡せば遊んでいる素振りもありません。
やっぱり、帰ろうか‥
腹が立って泣いていた感情よりも、私を迎えに来て欲しいという気持ちがだんだん強くなってきます。
そして、足は家の方向を向き、歩き始めていました。
おうちが見えた時、いつもと違った景色に見えて、当たり前の風景が、新鮮で優しく見えたことをこの文章を読んで思い出しました。
片づけとは人とモノとおうちのバランスをとる行為であるはずです。‥
‥私がおうちに対して何か大きな存在を感じるのは、お客様のところにうかがうたびに、それぞれのおうちがどれだけ住む人のことを大切に思っているかが伝わってくるからです。いつでも同じ場所で待っていてくれて、守ってくれる。どんなに働いていてくたくたになった状態の自分も癒してくれる。逆に「今日は働きたくない!」と素っ裸で転がっていても、「いいよ」と受け入れてくれる。ここまで懐の深い、あたたかくて大きな存在はそうほかにいません。
〜人生がときめく片づけの魔法〜近藤 麻理恵
当たり前の風景がちょっとしたことで変わった瞬間です。
そしてその感情も時と共に忘れ、当たり前の生活を送っています。
でも、家という私たちを守ってくれている存在があるから、帰る場所があるから、私たちは自由になれるのです。
その大きな存在をすっかり忘れていた、そしてそんな自分に気がついた一節でした。