気がつけば、私たちの生活はAI技術に囲まれていて、家の中を見渡しても自動運転の車、洗濯機、調理家電としっかり生活に根付いているのです。
これらの技術を取り入れることで、確実に行動範囲が広がり、何より驚いたのは、それが自分の思考パターンにも変化をもたらしていることなのではないかと思う日々です。
今日はそんな日々の出来事を書いてみたいと思います。
移動の自由が心の自由を生んだ
自動運転機能との出会いは、すでに2年前の夏に友人の車に乗って「これすごい!」と体感した頃から始まりました。
とにかく、雨の中は視界が見づらく、ちょっとしたことでブレーキを踏む回数が増えるのですが、自動運転だと一定速度でスーーーーっと走っている感覚で、自分で運転すると微妙なブレーキによる身体の揺れが横に乗っていても感じるのですが、それがありません。
その時から、次回買うならこれだなぁ!と決めていました。
とはいえ、実際に見積もってみると欲しい車に自動運転が搭載されておらず、また、価格も自動運転だと上乗せされるため、購入を見送っていました。
ところが、夫が高速道路運転途中に心筋梗塞になり意識がもうろうとしたが、なんとか一命を取り留める場面がありました。
やはりこの年齢になってくるとこういったリスクをも回避できる車をと思い切って注文。
実際に車がやってくると、自動運転になかなか慣れなかったのも事実で、「失敗したら人身事故に繋がる」という不安が常に頭をよぎり、むしろ高速での自動運転がストレスの原因に初めはなっていました。
昔で言うと、バックモニターやオートマ車に慣れていなかったおじいちゃんが「なんだか怖い!」という感覚と同じなのかもしれません。
しかし、考え方を「完璧な自動運転」ではなく、「自分の死角を補ってくれる補助機能」なのだと考え、とにかく慣れるまでに時間がかかったのですが、今では、車と一緒に協働して運転しているのだと捉えると、一人で運転していても不思議と安心できるようになりました。
特に高速道路での制限速度範囲内での自動運転は、今では手放せない機能になっています。
最初は「なんだかだるいなぁ」とノロノロ運転のように感じましたが、淡々と走る結果、時間的にはさほど変わらないどころか、追い抜きという一瞬の緊張を何度もかけることによる運転疲労から解放された感があるのです。
先日野沢温泉からの渋滞で高速道路でのノロノロ運転が1時間以上に及びましたが、気がつけば「なんとなく、ここまで走ってきちゃった」という感覚です。
さらに、これが自信に繋がり、意外と休憩を挟みながらの長時間運転も苦ではなくなってきて、かなり遠方でも車を使って自由に旅をすることができるようになってきました。実は、それまでは、1時間の運転が限界でした。笑
家事の自動化が教えてくれた「8割の法則」
洗濯機の洗剤自動投入機能は、些細な機能だと思って始めは「まぁどっちでも良いかなぁ」と思っていたが、このちょっとした煩わしさからの解放が、毎日の居心地の良さに直結しているなぁと。
乾燥機能の向上により、以前だったら乾燥を躊躇していたが、乾燥機が使えるようになりお天気を気にして洗濯することもなくなりました。
ホットクックやヘルシオといった調理家電の導入も、食事に大きな変化をもたらしたのです。
夕食について「何を作るか」悩むことが格段に減りました。
ガスで何か調理している際に、ホットクックでは煮物やシチューなどの料理、ヘルシオでは焼き魚などのグリル系ができるので、まるで自分の手が増えたような感覚です。
最初は家電に料理を任せることに戸惑いもあった。
味付けに不安を感じ、「自分でやった方が早い」と思ってしまうこともあったが、使い方に慣れてくると8割がたうまくいくようになり、「これで良いや」と思えるようになってきた。
この「8割で良い」という感覚は、気楽な気持ちに繋がり、他のことにも応用できるのではないかと。
手放したり、誰かに任せることが今までよりもできるようになった感じです。
恐怖から信頼へ – 新技術との向き合い方
振り返ってみると、どの技術も「慣れるまでは」とてもストレスでした。
人によっては、この慣れるまでのハードルが高く、購入を躊躇する人もいるでしょう。しかし、慣れてみれば案外いけることがわかってくるようです。
自動運転にしても、家電にしても、最初は「失敗したらどうしよう」という不安が先立って、「そんなことぐらいなら自分でできるし」と思って躊躇してしまうのです。
しかし、これらの技術は私たちを完全に置き換えるものではなく、私たちの能力を補完し、拡張してくれるものなのだと考えてたらどうだろう。
重要なのは、新しい技術を「わけのわからないもの」ではなく「パートナー」として捉えること。
完璧を求めるのではなく、技術に適切に頼ることで、結果的により良い成果を得られるようになれるのです。
日常から学ぶ柔軟性の育て方
AI技術との共生を通じて気づいたのは、柔軟な思考は「はい、どうぞ」と飛び込んで身につくものではないということです。
ちょっとずつ、日常の小さな変化を受け入れることで養われていくとも感じています。
洗剤の自動投入という小さな変化から始まり、調理の一部を家電に任せ、そして移動の安全性を技術に支援してもらう。
それぞれの段階で「手放すことの難しさ」と「解放感」を経験し、次第に「完璧主義」から「8割主義」へと思考が変化していった。
この変化は、仕事や人間関係においても応用できる。すべてを自分でコントロールしようとするのではなく、適切に委ねることで、より大きな可能性を開くことができるのではないだろうか。
技術と共に歩む未来
AI技術が日常に浸透する中で、私たちも日々その対応力に追われている。
重要なのは、技術を恐れるのではなく、自分の行動範囲を広げ、思考を柔軟にしてくれるパートナーとして受け入れることで、さらに自分が自由になる感覚があるのです。
完璧を求めすぎず、8割で良しとする。
自分の限界を認め、適切に技術に頼る。
小さな変化を受け入れることで、大きな可能性が開かれる。
柔軟な思考は、こんな日常生活の中から、自然に育まれていくのだと、つくづく思う今日この頃です。