みなさんは褒めたりする時「すごい」とか「素敵」とかの形容詞を使って褒めることが多いですよね。
実は、私は人から褒められたら悪い気はしませんが、せっかく伝えてくれたのにどうも、これは社交辞令だとか、単に口癖みたいに出てきたんだと思って相手の気持ちをスルーすることがありました。
しかし、最近ではコーチングセッション中に、会話中に相手に対する承認と共にフィードバックをおこなうのですが、これをうまく使うことで相手に響きやすいと感じています。
今日は、日常生活においても承認と共にフィードバックをすることで、より良い人間関係が築かれるのではないかと思っています。
簡単なことですので、是非使ってみてください。
人を褒める時は、形容詞だけを使わない
私たちは人を褒める時、「すごい」とか「素敵」と言って褒めることがあります。
それ自体はとても良いことなのですが、相手によっては何に対して言われているのかわからないことがあります。
そうするとその言葉は褒め言葉なので、悪い気がしませんが、相手はそのままスルーしてしまいます。
要するに「かわいい」とか「素敵」とか「賢い」とか言われていても、その言葉が何を指しているのかがわからず、社交辞令のように受け取りますが、心に残る褒め言葉ではありません。
反対に、褒め言葉を発する際には、「〇〇が素敵だよね」とか「〇〇を頑張っているからすごいね」など、そこには「素敵」や「すごい」を感じた理由があるはずです。
その理由を一緒につけて「かわいい」や「素敵」、「すごい」を言ってあげると、相手は何に対して私のことを褒めていたかが非常にわかりやすくなります。
すると相手は、「自分のこういうところを褒めてくれているんだ。私のことをわかっている。私のことに興味関心があるんだ。」とさらに褒め言葉が受け取りやすくなります。
また、叱る時は何故叱っているのかをきちんと説明することで、改善の余地が生まれてくるのではないでしょうか?
褒められたら、どこが?と聞き返してみる
以前友人から褒められたことなんですが、
「みっちゃんって賢いね」って言われました。
何が賢いのか?と私は首をかしげたんですが、どうも何を指しているのか分かりません。
というのも、褒めてくれた友人は、私に比べてはるかに知的でそんなこと言われてもなんだか社交辞令や口癖のように感じました。
実は、自分は学校の成績も良くなかったし、今でも全てにおいて自分が賢いなどとは1ミリも思っていません。
もちろん、生きて行くために自分のない部分の知性をカバーするため、試行錯誤したり、効率的な方法を考えるというのは好きですし、得意ですが、だからといってそれが「賢い」につながるとは思っていなかったのです。
そこで、彼女になんで??という疑問が浮かんだので、その時に質問してみました。
彼女は次に付け加えた言葉が
「人には3つの賢さがあって、
- 知能指数が高い賢さ
- 運動能力が高い賢さ
- 実務能力が高い賢さ
というふうに分かれるんだけれども、みっちゃんの場合は、実務能力が非常に高いんだよ。」と、言われました。
「あーなるほど」と思いました。褒めていただいた友達は本当に知能が高くて正に『賢い』のですが、私は反対に「どうやったら生活の中でうまく活かしていけるか」という応用能力があるから賢いねと褒められたわけです。
この言葉は、私にとってある意味「自分の強み」の指標になりました。
私は問題が起こった時に、上手く対応出来る力、すなわち応用能力があるというふうに受け取り、それからは私の得意分野なんだと受け取ることが出来たのです。
今でもその言葉が私の心に残っていて、時々いろんなお料理なんかは「どうやったら簡単に美味しく作れるか」ということを考えたり、また「どうやったら上手く生活に活用できるか?など、試行錯誤するのがとても好きです。
このように単に「賢いね」と褒めるよりも、その理由付けを言ってもらうことで、自分の今まで当たり前に出来ていたことを知って、今後どう伸ばしていけばいいかを考えるには効果的な方法だと思います。
まとめ
褒め言葉をもらった時は、
「なんでそう思ったの?」
と聞いてみると、自分の良い所がわかり、そこを伸ばしていけるのではないかと思います。
反対に人を褒める時は、
単に形容詞である「すごい」「賢い」「かわいい」などの言葉だけでなく、プラスして理由付け「こうだから賢いとか、すごいと思った」ということを表現してみてはいかがでしょうか。
より相手との関係性が深くなって、信頼関係が築きやすくなると思います。