昨日はちょっとショックなことがありました。
偶然にも同じ日に2人の異なる人から嘘をつかれているんじゃないかと思うようなことがありました。
それは、人が聞いたら取るに足らないことかもしれませんが、信頼していたからこそショックでした。
また、このようなことを他の友人に話せば悪口になりかねませんし、私自身、それは単なる勘違いであって欲しいと願っていることでもあります。
セッションには守秘義務があるからこそ言えること
そんなもやもやとした気持ちを抱えていた中、たまたまその日は定期的なコーチングセッションの日でもありました。
コーチングセッションでは、自分のプロコーチと共に自分の目指したい方向やありたい姿を見つけ、人生をよりよく歩むためのサポートを受けています。もちろん費用は発生しますが、コーチには守秘義務があるため、実名を出しても、たとえ相手を非難しようとも、それはセッションの中だけの話として守られます。
友人に話して憂さ晴らしをすることはできるかもしれませんが、それでは何の解決にもなりません。
そこで、コーチングセッションではその時間を使って、私がどのように怒りや悲しみを感じたのかをとことん話しました。
コーチは時に共感するだけでなく寄り添ってくれて、嘘をついた相手が今どんな状態なのかもフィードバックしてくれました。
もちろん、コーチは相手が誰なのかは知る由もありませんが、状況を俯瞰的に見てその人の心情も伝えてくれました。その上で、私が今後どのように進んでいくべきかということも、質問を通じて考えさせてくれました。
コーチはスポンジのように吸収してくれる役目を担っています
人は悲しみや怒りをずっと心の中に抱えていると、どうも上手くいきません。
事実は辛いものですが、その感情を一旦吐き出すことで、少し気持ちが軽くなったり、落ち着いたりするものです。コーチは、その怒りや悲しみを一旦スポンジのように吸収してくれる役目を担っています。
傷に例えると、殴られてそのまま自分の中に溜めているとあざになっていつまでも痛みが和らぎませんが、その傷を少し開いて膿を出すことを助けてくれるような感じです。
口にするのも嫌な時もありますが、コーチとの長年の信頼関係が、この痛みを言葉にすることで、消毒液のような役割を果たしてくれます。時間が経つと、どうすればよいかがぼんやりと見えてくるのです。
自分の感情を言語化することでの気づき
私が「その人に裏切られた感がある」と言ったとき、コーチは「どちらかというと、ないがしろにされた感があるんですよね」とフィードバックしてくれました。
その言葉は私の心にぴったりと響きました。信頼している人に完全に嘘をつかれたというより、私との良好な関係性を保つためにたまたま嘘をついた。しかし、その嘘が私にバレて信用を失ったという感じなのだと思います。
これからどう振る舞うかは、まだ明確になっていませんが、自分がそのことで傷ついたことはお伝えしようと思います。
自己選択の価値
「私って、お人好しだなぁ」と苦笑いしながらコーチに伝えたところ、「確かに、悪く言えばお人好しなのかもしれません。でも、あなたは嫌なことや出来ないことはちゃんと選んで意思表示しているから、それは流されてそうなったのではなく、ちゃんと自分で選択していると思いますよ。ただその結果がちょっと悪かっただけなんだよ」と言われ、それもそうだなと納得しました。
誰と一緒にいるか、どこに行くかは自分で選べるのです。
そこさえはっきりしていれば、私の進むべき道に例え間違いがあったとしても、それは仕方ありません。未来はわからないのですから。
このように、今回の出来事は私にとって良い学びとなりました。
とはいえ、自分の大切にしたい価値観や信念という核となるものは何なのか、これをこれからも大事にすることさえぶれなければ、きっとなんとかなるのではないかとも思います。