朝日が差し込む窓辺で、今日も新たな1日が始まった。洗濯物を干しながら、午後にはパリッと乾く洗濯物の香りに心が踊る。農作業では、桜草の出荷準備に向けて場内の整理整頓に励んだ。汗が滲み出る程の労働だったが、毎日のルーティン作業という平和な日常に寂しさという風が吹いたのは、昼食の準備をしていた時だった。
娘が就職内定先の面談を終えてキッチンに入ってきたのだ。コロナ以降、オンライン面談が主流となり、家にいながらにして就職先の面談ができる。便利になった世の中に驚きつつも、娘との会話に耳を傾ける。
そして、彼女の決断を聞いて驚いた。 北海道勤務を希望したというのだ。 春先から相談を受け、親としては、できるだけ生活に馴染みやすい暖かい土地、例えば九州方面を勧めていたにもかかわらず…。
「話が違うじゃないか!」と、私はムッとした。
若いうちの遠方経験は良いことだと思う反面、厳しい冬の運転技術や慣れない寒さの生活に対する心配が頭をよぎる。その瞬間、自分の中に湧き上がった複雑な感情に気づいた。娘の喜びに満ちた表情を見ながら、一瞬ムッとしてしまった自分がいる。
数分の沈黙の中で、包丁の手が止まり、調理をしながら気持ちを切り替えようと努めた。
しかし、「なぜ北海道なの?」と尋ねた瞬間、娘のにこやかな顔を見て裏切られたような気持ちになった。
自分の気持ちを落ち着かせるのに時間がかかった。とにかく、自分の気持ちはおいといて、娘の決断を信頼するためにも彼女がなぜそこを決めたかを聞く必要があると思った。
娘の答えは意外なものだった。
沖縄、北海道、長野と候補があったが、自分の行きたい場所を素直に直感で選んだという。
その答えに、私は我に返った。
そうだ、私も丁度この年頃、もう30年以上も前の話であるが、「オーストラリアに行きます!」と最後にはキッパリ決めて飛行機に乗り込んだんだった。
あの頃の親の想いが、今痛いほどわかる。
無難に生きてほしいという親の欲と、「私なら」という立場で物事を考えていたからだ。本来なら、娘の決断を尊重し、応援することが本当の親の役目なのだが、「なんでやねん」とつい本音が表情に現れた。
今日一日を振り返り、娘の成長と自分の気持ちの変化を感じた。
子どもの巣立ちを見守る親の複雑な思いと、どこか遠くへ行ってしまう寂しい気持ちが錯綜する。多分、今年に入って、一緒に過ごしている日が多いからに違いない。
北海道か…。
新天地での経験は、きっと子供も私自身も成長させてくれるのだろう。
娘の新たな挑戦を心から祝福できる自分でありたい。きっと明日には、春から娘の住む北海道への旅行の計画を立てながら楽しんでいる私がいてほしい。
そう思いながら、静かな夜の中でパソコンを閉じた。