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私の通っていた高校は、京都御所の近くにある京都府立鴨沂高校と言う高校でした。

この高校は、普通科と商業科があり、夜は夜間学校がありました。

高校入学してから、とにかく一番驚いた事は、ここは義務教育ではないので、やめたければやめて良いよと言う学校側の姿勢でした。

「お前たち、ここのクラスでうるさくするんだったらさっさと出て行け。義務教育じゃないんだから、いつでも止めていいし、授業は寝ててもいい。ただし人に迷惑だけはかけるな!」
と、最初の授業で言われたことを今でも覚えています。

その時初めて、あぁ〜〜そうだった…。ここは義務教育じゃなくて、お金を払って勉強しに来てるとこなんだねと痛感したことがあります。

ホームルームと一般教養は普通科と商業科が入り混じって勉強していました。

逆に、普通科と商業科は、カリキュラムが違うので他の授業は全部選択科目です。

なので、朝一緒にホームルームを受けた後も、別の教室に行って今度は別のクラスの普通科の人と授業を受けたりするのです。

また、高校1年生の時は普通科の生徒はほとんど同じ授業の内容を勉強するのですが、高校2年生になると理系と文系に分かれるため勉強の選択範囲が変わってきます。
数学は数3まで取ることが可能ですし、英語も文法とリーディング長文読解などの細かいクラスに分かれてきます。

なので、高校2年生のときにはどこに行きたいかなどの目標を定めるなど、常に選択の連続でした。

また、夕方からは夜間の高校生がここで勉強することになりますから、部活で少し遅くなると、そういった人たちとも交流をすることも多かったです。
働きながら高校に行ってる人がいると言うのを、実際に知ったのもここででした。

学校には、給食と言うものがなく、お弁当を持っていきますが、学食は安くてとてもおいしかったですし、お昼に近所の喫茶店や定食屋さん、マクドナルドに行ったりすることも自由でした。また、学食は夜の夜間の生徒たちのためにもずっと開いていたので、部活が終わった後もラーメンなどの麺類を食べていたことをよく思います。

ひとクラスは40人程で11クラスありましたから、例えば2時間目まで授業を受けていても、3時間目は受けるのが嫌だなぁ〜と思えば学校の授業を1時間だけエスケープすることもしばしばありました。

そんなことして怒られないのと思われますが、実は、学校の先生が休みでその時間が休校になり授業がない時もありましたから、学校の周りの喫茶店で友達とその時間しゃべっていて、先生に見つかって怒られると言う事はほとんどなかったです。

学校の門も絶えず空いていましたし、先生が立っているのは月曜日の朝1番のおはようの挨拶だけです。

服装は私服でしたから、例えば草履やパンプスを履いていても全く問題がありませんし、授業をエスケープして繁華街に行っても制服のように目立つことは無かったのです。

さすがに、髪の毛の色を染めていると、生徒指導室に呼び出されましたが、それ以外でしたらさほど厳しくもなく、授業の単位をきちんとクリアしていれば呼び出されたりすることもなかったようです。

結局は、生徒の主体性に任せたというか…学校としては、面倒を見きる切れない生徒はさっさとやめさせるというのが方針でしたので、そこを大きく逸脱しないのであれば、大目に見てくれていたようです。

授業を受けるのも、いろんな教室に毎時移動し、その際にいろんな友人と科目単位で関わっていたので、幅広く人と関われたように思います。

本当に、自由自立友愛の精神をモットーに学生生活をエンジョイしたのでした。

近くには、同志社大学や京都大学があり、そういった大学生とも交流が深かったので、よく大学生協の学食を食べに行ったり、授業も受けたことがありました。

高校のサークルだけでなく、ボランティア活動もしていて、小学校の子供たちと一緒にキャンプに行ったり、アルバイトも許可されていましたから、歯科助手の簡単なお手伝いや、喫茶店でのアルバイトなどもしていましたから、お小遣いにもほとんど不自由しませんでした。

今の子供たちの高校生活を見ていると、なんて堅苦しい学生生活なんだろうなぁと思う時もしばしばです。まぁ、古き良き時代だったのでしょう(笑)

ただ、今と違って昔は、女の子が大学に行くなんてって!と家長である祖父に言われていましたから、私が大学に進学したいと言った時はかなり反対された覚えがあります。

その反対を押し切って大学受験をすると言う事は、授業料は払えないということが前提でしたので、仲を取り持っていた母親が、もし私が私学に行ったらどうしようか?? 授業料を払い切れないんじゃないかしら…と言う心配もあったと思います。

なので、結局私は国公立1本で受験に挑みました。確かに、私学は国公立の授業の3倍ほどの学費がかさんでしまいます。

祖父のサポートが受けられないとなると、母親のにとってパートで私にの授業料を払うのはかなり厳しかったと思います。まぁ、下にまだ弟や妹もいましたしね。

それでも、私は受験勉強ができたこと、高校で普通科に進み、大学生活並みの学生生活をエンジョイできたこと、など思い返してみれば、たくさんの経験ができたことは、今の子供達より凄い経験を積んだなぁと時折思っています。

結局、大学受験には失敗しましたが、この辺から私の自由奔放な生活が始まっていくわけです。

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この記事を書いた人

michann

michann

家族 主人、子供3人
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ホトリーダ(本が早く読めます)
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美を追求してすっかり迷宮入り、たまるものはレシートと脂肪。早く脂肪届け役場に渡さないと雪だるまになりそうです。

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