4歳から、母に連れられて2年間幼稚園に行き始めました。

私の幼稚園は、歩いて15分ぐらいのところにあるクリスチャン系の私立幼稚園でした。

我が家は仏教徒なのでとりわけここにということはなかったのですが、子供の人口が多かったため公的な幼稚園に入る事は非常に難しかったです。そこで、近くてそこそこ評判の良かったクリスチャン系の幼稚園に行ったんだと思います。

4月生まれに憧れる

小さい頃は、私は1月生まれと言うことで4月生まれの人が羨ましくて羨ましくて仕方ありませんでした。

お絵かきをしても、きれいに描くチューリップの柄を見て、私には到底真似ができないほど奇麗だったのです。今から思えば、当然のことで、この時期の成長は数ヶ月違うだけで、知性や体力にも差が出る時期です。
「〇〇ちゃんて何月生まれ?」って聞くと「私、4月生まれだよ」と言う返答です。なので、4月生まれに憧れを抱いた幼稚園児だったのです。

クリスマスの思い出

クリスチャン系の幼稚園のため、クリスマスシーズンはとても華やかで、12月のカレンダーには、日にちが追うごとに窓から絵が飛び出てくる仕組みのカレンダーがクリスマスを盛り上げてくれます。25日が待ち遠しくウキウキしていたことを覚えています。

特にクリスマスパーティーでは、お母さんと一緒に志津屋という京都では有名なベーカリーショップで作られたサンドイッチやケーキをみんなで食べたり、園長先生が扮装したサンタがやってきて、大きな白い布袋から、一人ひとりに手渡しするプレゼントがとても楽しみでした。

しかし、年少の時はとにかく幼稚園に行くのが嫌で嫌でたまりませんでした。

多分、家で遊ぶことが幼稚園よりもずっと楽しかったですし、何よりも親と夜過ごす時間が楽しくて、朝はとても起きづらかったことを覚えています。

楽しみであったこのクリスマスパーティーの時も体調を崩して、先生が私の分の食事をわざわざ届けに来てくれました。

当時は、便利なタッパと言うものがなく、箱に入れたサンドイッチとビニール袋の中に入れたカレーがとても印象的でした。

賞状をもらうことに強く反応した私

そんな私なんですが、年長の時に1日も欠かさずに幼稚園に行ったことは、今でも覚えています。

実は、休みがちな私を心配して、母親が

「年長になったら毎日欠かさず行くと賞状がもらえて、クリスマスの日に名前を読み上げて、前で表彰してもらえるよ。だからがんばっていこうね^ ^」

と言われたのを今でも覚えています。

すると、私のスイッチが急にはいり、その日から見違えるように欠かさず幼稚園に行った事は言うまでもありません。

そして、年長のクリスマスには、「これから皆勤賞のお友達の名前を読み上げます」と言われドキドキしながら待っていたら、自分の名前を読み上げられ壇上に立った時、とっても嬉しかったことを覚えています。

お姉ちゃんになった

弟が生まれてお姉ちゃんとしての意識が芽生はじめました。

年少の時は、隣の幼なじみのゆうちゃんと一緒に幼稚園に通っていたのですが、年長になるとゆうちゃんは一年生になったため一緒に通うことができなくなりました。

丁度、弟が生まれ母親も私だけにかまって居られない時期でしたから、『おねえちゃん』という自覚が芽生え始めてきたようです。

ある日、通い慣れた道を途中まで母親と一緒に行くと、「お母ちゃん、ここからは私1人で行ってくるから見ててね」と言うと、トコトコと歩き何度も後ろを振り返りながら「ついてこないで、行ってくるからね^ ^バイバイ」と手を振りながら歩いて行ったものでした。

今でもその時の私は、やってみよう♪好奇心とチャレンジ精神が一杯のようだったのを覚えています。

もちろんドキドキしていましたよ。
信号ではちゃんと青になるまで待たないといけないとか、青に変わっても左右よく見てまっすぐ渡るとか…
交通安全学習で習ったことを、何度も頭の中で繰り返しながら呪文のように唱えて横断歩道を渡っていたことを思い出します。

大好きだった肝油ドロップ

毎日のお楽しみは、帰る前に絵本を読んでくれて、その後みんなに1粒ずつ手渡される肝油ドロップは本当に楽しみでなりませんでした。

春休みや冬休みになると、幼稚園から肝油ドロップを買ってくれて、毎日1粒もらうことも楽しみでしたし、
月一回配布される絵本「キンダーブック」をもらうこともとっても楽しみでした。

特別に裕福な家庭でもなかったのですが、当時、私立の幼稚園にいかせてもらったことはたくさんの思い出となりました。

将来の夢はお花屋さん

そういえば、卒園の思い出の品として、先生がピアノで弾いてくれた曲に自分が歌って録音されたレコードがあったなぁ。今はどこにいったのかなあ?

その時の声が、自分のいつも耳から聞いている声と全く違うので驚きました。しかし、音痴だったのか、隣の幼馴染みのゆうちゃんに下手くそ〜〜って言われ、それから歌に関してコンプレックスを感じたんだと今気が付きました。笑

そして、そのレコードには先生が「みっちゃんは将来どんな夢がありますか?」と言う質問に対して、「お花屋さんになりたいです。」と言っていたことを思い出しました。「それはなぜですか?」と聞かれたので、「赤やピンクや紫のお花がきれいだからです」と言っていました。

確かお花屋さんかケーキ屋さんで迷った記憶があります(笑)

そして、その言葉どうり何故か?今お花を作る仕事をしています。本当、不思議なものです。

この記事を書いた人

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michann

読書が好きで、本が速く読める(フォトリーダ)技術を持っていながらも、年齢と共に活字を読むことに煩わしさを感じ、現在は耳読に夢中です。



仕事は、花つくりを中心とした農業をしています。
お花に関する知識

・造園施工管理技士2級
・小原流 家元教授
・グリーンアドバイザー
・ハンキングバスケット・マスター

・食品衛生管理者

を持っています。



独身時代は、海外添乗の経験があり総合旅程管理主任者を取得し、今は趣味として旅を続けながら人生を謳歌中です。
また、

最近始めたゴルフは、100のスコアーを切るべく苦戦しながら楽しんでいます。



また、自分の強みであるコミュニケーション能力と社交性、個別化を生かし数年前より 社)コーチングプラットフォーム認定コーチとなり、コーチングで”自分らしくしなやかに生きる”を実践中です!



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