前回のブログでは、私があまりにもおしゃべりをしすぎて、母親にガムテープを口に貼られた、と言う思い出についてお話ししました。
それぐらい、私はおしゃべりだったのですが、人によっては母親に対してそんな事までしなくてもいいんじゃないかと思う方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、そこには後日談があります。
実は、母親にガムテープを口に貼られたのに腹が立ち、私はそのままの姿で隣のおばちゃんのところに駆け込み、『うちのお母ちゃん、こんなひどいことするんやで〜〜』って言って、ガムテープを貼られた口を見せたのです。
近所のおばちゃんは大爆笑でしたが、母親が、「早う帰りなさいって!」といって迎えにきてくれて、それで喧嘩は終息しました。
記憶と言うのは本当に曖昧で、断片的なものですから、今、思い返すとなぜガムテープを口に貼られたのかすらわかりません。
ただガムテープを貼られたと言う記憶と、隣の家に駆け込んだと言う2つの記憶が私の中に事実としてあります。
この話を前半まで聞くと、母親に対してそんなことしなくても、、、と母が悪者になりがちですが、近所の人に言いふらした私は、衝動的とはいえ、なんて戦略的なんでしょうと思い起こすだけで苦笑いです。
このように昔あった思い出も、断片的で前後のストーリーを忘れていますので、見方を変えるだけで良くも、悪くも変わってくるのです。
すなわち、事実は、捉え方によって話がずいぶん変わってきます。
この年になると、過去の思い出がいろんな風に歪んできているし、捉え方によってずいぶんポジティブにもネガティブにも変わっていくということが理解できつつあります。
しかし、わかっていてもその渦中にあれば、決して笑い事ではありません。当時の幼い私にとっては、それが私のできる限りの反抗だったのでしょう。
こんな些細なことでさえ、自分にとって、ひどい母親だったとも言えるし、強い自分がいるとも受け止められるのです。
このように、出来事の捉え方を変えることで過去を変えることができます。
もし過去に、何か引きずっている嫌なことがあっても、事実を受け止め、それによって今の自分があるとポジティブに考えていきたいものですね。