コネなし、ツテなし、で向かったオーストラリア
オーストラリアに渡航したのは、もう30年ほど前のことです。
大手製紙流通メーカーで働いていた頃は、まだまだ女は結婚すれば退職?という流れだったと思います。
同期で入った男性社員は営業マンとして活躍する中、私がここにいても何も進歩なく、結婚→退職→出産 か〜…と、憤りを感じていたのでした。
女性としての武器ってなんだろう??と考えた時、やっぱ、結婚するまでは後悔のない人生を歩もうと心に決め、英会話もままならぬまま、オーストラリアに渡航を決めたのでした。
もちろん、こねなし、ツテなし、真っ赤なスーツケース一つ片手にオーストラリア、シドニーへ向かったのでした。
なんでもやります!精神
右も左もわからぬまま、シドニーでの生活が始まりました。とは言え、はじめに英会話学校に短期で入学をし、生活は少しづつ馴染みが出てきました。
せっかくシドニーに来たんだから、いろいろな体験を積みたいよねーとふと思い立ち、全く泳げない私でしたが、ダイバーの免許を取りに週末、ダイビング学校に通いました。確か4日間ほどの講義と海での実習だったと思います。
たくさんの方が実習に来られていたのですが、パディと言いまして、実習をする際に相棒になる方と意気投合して、「週末ヨットでセーリングがあるので良かったら船に乗ってみます?」と声をかけられました。
ヨ、ヨットですか!?
私が、いやというはずありません。
私のパディであるその方は、日本からこちらに駐在されているヤマハのヨットマンで、仕事は、ヤマハのヨットの開発とセーリングをされていました。
友人たちと誘い合わせ、ヨットに乗船したことは、言うまでもありません。
その時に、私が仕事を探していることを、会話の途中で話していたと思います。
すると、後日、彼から連絡がありまして、ヨットの帆を縫うミシン工員の仕事がうちの会社で募集していますが、働いてみませんか?と連絡を受けました。
私は、ミシンが上手く使えるかどうか、判らないなかったのですが、実際に現地の人とそこで一緒に働けてしかもお金をもらえるなんて!と、すぐに「Yse!」の返事をしました。
友人にも、その仕事の話をしましたが、いまいち気乗りのない様子。やはり、ミシンを扱う仕事に抵抗があったのだと思います。
それから、1週間ほど過ぎたある日、ヨットマンの方から電話がありました。
「実は…」と、申し訳なさそうな感じで始められた会話に、ア〜…、きっとあかんかったやね〜と残念な気持ちでした。
すると
「ミシンの仕事もあるんですが、ルイビトンってご存知ですか?」
と、唐突に聞かれ、
私も、ブランド大好き人間ではないのですが、その当時OLの間でも、流行っていた一流鞄メーカーだとは知っていました。
「は、はい。???」
唐突に出てくるブランドメーカーにビックリしながら、伺ってみると。
「先日の日曜日、うちの会社のスポンサーでもあるルイ・ヴィトン社が、ヨットでの競争、ルイ・ヴィトン杯を開催しまして…ルイ・ヴィトン、シドニー支店のマネージャーが誰かいい人いないかしら?って探していたんですよ。
そこで、良かったら、紹介しますがいかがですか?」
との事、私が断るはずないではないですか?!
翌日、履歴書を持ってショップに伺ったのは、言うまでもありません。
最大の不安は、英語ができない事でしたが、どうせ面接落ちても元々仕事がなかったのですから、失うものなんてないわけですし…
面接当日
とは言え、面接当日は不安になりました。
あ〜、面接は英語だろうなぁ〜。何聞かれるんだろう?
覚えている単語を羅列するしかないなぁ〜と、不安に思いながら、ショップの3階のオフィスへ向かいました。
案の定、面接官は外人の女性でした。
あ〜、とにかく下手に質問されると困るので、丸暗記した英語での自己紹介をしました。
そして、日本で会社を退職する際に、上司に頼んで「この女性はいかに素晴らしいか!」をちょっと、いえ、随分盛り気味で書いて頂き、それをきちんと英文で翻訳したものを用意していました。
何かの本で読んだのですが、渡航する際は、パスポート(国籍の信頼性)、クレジットカード(財産の信頼性)、以前の会社での推薦状(人としての信頼性)が、非常に役に立つのです。
もちろん、履歴書を渡した後、以前の会社にキチンと勤務し、偽りのない経歴であるかはルイビトン側としても調査されていましたが…
ある程度喋り終わると、マネージャーはにっこり笑い
「私、日本語ができますので安心してください」と言われました。
早う言ってくれよ〜と、心なしか安堵を覚えた記憶があります。
私、ルイ・ヴィトンで働いています
面接から一週間も経たないうちに、働き始めたと思います。
とにかく、会う人、会う人、ビックリの連続です。
なんでそんなところで働けるの????の質問の嵐。
この間までプー太郎だった私が、高級ブランド店に勤務しているわけですから…
一番悔しがったのは、私がヨットのミシン工員として働かないか?と話を持って行った友人達です。
私はてっきりミシン工員として働いていると思ってたのですから…
職種を選ぶのではなく、目的を選ぶ
今私が思うに、この仕事を得たのは、職種を選んだのではなく、目的を選んだからです。
もしプー太郎でお金が無くても、一応、以前に蓄えたお金がありましたから、そんなに危機感はなかったのですが、それでも、働いてお金を得、しかも、英語を勉強出来るということは代え難い喜びだったのです。
ですから、働く職種については、大して気にも留めていなかったのです。
それが、つながりの中で、まわってきた仕事がルイ・ヴィトンだというだけなのです。
今からよく考えてみると、その方と知り合ったのは、ダイビングの免許を取りに行ったことがきっかけですし、そもそも、海外でダイビングの免許を取るという人は、よほど海が好きな人か、それなりのキチンとした方しかいなかったのではないかと思います。
ぶっちゃけ、私はそれ程、海に興味がなかったのですが、オーストラリアにはグレートバリアリーフという、珊瑚地帯がありまして、そこにはたくさんの虹色の魚が見れる〜というこれも安易な考えで、免許を取ったのでした。
こうやって、思いもしない海外での生活がスタートしていくのでした。
続く