真綿色した シクラメンほど 清(すが)しいものはない
出逢いの時の 君のようです
ためらいがちに かけた言葉に
驚いたように ふりむく君に
季節が頬をそめて 過ぎてゆきましたうす紅色の シクラメンほど まぶしいものはない
恋する時の 君のようです
木もれ陽あびた 君を抱(いだ)けば
淋しささえも おきざりにして
愛がいつのまにか 歩き始めました
疲れを知らない子供のように 時が二人を追い越してゆく
呼び戻すことができるなら 僕は何を惜しむだろううす紫の シクラメンほど 淋しいものはない
後ろ姿の 君のようです
暮れ惑う街の 別れ道には
シクラメンのかほり むなしくゆれて
季節が知らん顔して 過ぎてゆきました
疲れを知らない子供のように 時が二人を追い越してゆく
呼び戻すことができるなら 僕は何を惜しむだろ昭和50年、小椋佳さん作詞作曲
懐かしいですね〜、布施明さんが歌う、この曲をテレビでよく耳にしました。
当時は花を家で飾るというと、玄関の外で朝顔やチューリップぐらいしか記憶がありませんでしたが、ある日、玄関にピンク色のシクラメンの花が咲きほこっていました。
今でもこの映像だけが鮮明に残っています。
当時、母が高級品だったシクラメンを花屋さんで買ってきたのです。
鉢花を玄関に飾るなんてことがなかった当時ですが、この歌と共に家庭に普及していったように思います。
そして、色もバリエーションがあり、花弁が下向くこの花の特徴を、清楚で凛としたイメージ、秋から冬にかけて、花が薄らいで来る季節にはうってつけの商品でした。
それから十数年後、私はこの花を育てる、シクラメン農家の嫁になるなんて想像もしていなかったのです。
ガーデニングブームの到来
バブル最盛期から崩壊までの時代を駆け抜け、結婚した頃は丁度、ガーデニングブームの到来の時期でした。
1990年に大阪で開催された国際花と緑の博覧会(大阪花博)以降、生活周りや都市空間に、緑や花を持ち込むことへの関心が高まってきました。
生活の周りを切り花や盆栽で楽しむのみならず、ヨーロッパスタイルの庭作りやコンテナを置いて、生活に潤いを求める消費者が増えつつあったのです。
ガーデニングへの関心の高まりは、雑誌やテレビなどのマスメディアに取りあげられ1997年には『ガーデニング』という言葉が流行語10選に選ばれました。
折しも、ガーデニングブームの真っ最中、私は仕事を止めて嫁いできたとは言え、小さな農場から大量生産に向けての農場拡大、手作業から機械の導入化に向けての経営に向かっていったのでした。
そこには、好きで仕事をするとか、やりたい事だったとか、そんな言葉は全くなく、只々、時代の流れと生活圏がそこだったということに他ならなかったのです。
時代の流れの中で
今では、ワークライフバランスだとか、男女共同参画だとか言われていますが、当時は結婚を機に仕事をやめて家庭に入るというのが普通の社会でした。
特に子供が出来ると、産休というより離職が普通だったように思います。
私の場合は職種が農業、自営業だったこともあり、今から考えると、ワークライフバランスを地でいっていたのかもしれません。
そうなんです、やるもやらないも自分で決めれるけれど、全ては自分に返ってくるのです。
そして、子育ても本当に夢中だったと思います。
幸せだったことは、どんなに忙しくても家族がいたことかもしれません。
そして、幸か不幸か、子供を抱え、私は花作りという農業の世界に否応なしに入っていったのです。