転んだ日から、一ヶ月。
坐骨骨折、よちよち生活、そして回復の喜びをここに書き記しておきたいと思います。
あの朝、氷の上で
あれは、2月10日の朝のことだった。
前日の雪がまだうっすらと残る坂道を、愛犬と一緒にゆっくり下っていた。「今日から暖かくなるから、道も溶けるだろう」と思いながら。ところがだ、最後の一歩。雪だと思っていたそこは、ガラスのように磨かれた氷だった。
体がふわっと、宙に浮いた。
一体何が起きたのか理解する間もなく、気づけば雪の上に横たわっていた。「ああ、転んだ」——そう悟った瞬間、頭の中でチェックリストが動き始めた。
足は? 大丈夫。左手首は? ……痛い。
お尻は? ……これは、やばい。
しばらくして、気分が悪くなってきた。立ち上がろうとしても体が動かない。貧血のような感覚に包まれ、冷たい雪の上でただじっと、地面を見つめていた。数年前に左手首を骨折した経験があるから分かる——これは骨折だ。
「以上です」……え、それだけ?
そこへ、たまたま主人が通りかかった。
驚いた顔で脇に手を入れて抱き起こしてくれたが、立ち上がれない。
車をすぐそこまで寄せてもらい、雪崩れ込むようにして乗り込んだ。
もし誰もいなかったら、私は救急車を呼んでいたと思う——そのくらい、動けなかった。
病院に到着するやいなや、看護婦さんを呼んでもらい、そのままストレッチャーへ。診察、レントゲン、CT。結果は——坐骨骨折。
「2週間分の痛み止めを出しておきますね。以上です」
……え、それだけですか?
入院はできないの? トイレにも行けないのに?
心の中で叫びながらも、骨折とはそういうものだとどこかで分かっていた。
日にち薬——それしかない。こうして、私の「よちよち生活」が始まった。
学習椅子とよちよち生活
起き上がるだけで5分かかった。
トイレへ行って帰ってくるだけで、一大事業だった。
友人のアドバイスで、子供が使っていた学習椅子(足にコロコロがついたもの)をつかまり台にして、廊下をそろそろと進んだ。まさか自分が、こんな形で家中を移動する日が来るとは思っていなかった。
食事も自分で作った。ヘルシオで焼き芋を焼いたり、ホットクックでカレーを。立っていられるのはたった5〜10分。それでも、コンビニのパンやスーパーの惣菜ばかりでは食物繊維やタンパク質が少なすぎる。お腹をシンクに預けながら、少しずつ包丁を握った。
辛かった。本当に、辛かった。でも——日々、良くなっていった。
温泉が私を救った
骨折から2日後、自宅にてなんとかお風呂に入った。
その瞬間の気持ちは、今でも忘れられない。「お風呂ってこんなに気持ちよかったんだ」と、心の底から思った。
体が温まると、心まで溶けていくようだった。
思い切って、1週間後には、どうにかこうにか車に乗って、杖をつきながら温泉へ行った。
毎日通っていた馴染みの場所。常連さんたちが驚いた顔で迎えてくれた。
お湯の中では不思議と痛みが和らいで、腰も、お尻も、ふっと楽になる。
10日後には温泉施設に付帯してある温泉プールでの水中ウォーキングも始めた。お湯に体を預けながら、30分ゆっくり歩く。それが、私のリハビリになった。
2週間が経った頃、ふと気づいた。飲み忘れていた——痛み止めを。
これは良い傾向だ、と思った。
3週目には、少しずつ仕事に戻り始めた。気づいたら1000歩、次の日は2000歩、そして3000歩。無理して歩いたわけではない。体が自然と、動けるようになってきたのだ。
歩数が増えるたびに、小さくガッツポーズをした。
杖を忘れた日
あれほど手放せなかったお風呂場の杖を、3週間後には持っていくことすら忘れていた。
長時間歩いたり、長距離のお出かけはまだ難しい。
座っていると1時間でお尻が痛くなって、集中力が途切れる。
ズーム会議は横になったまま音声だけで参加した。ゴルフも、楽しみにしていた屋久島旅行も、キャンセルになってしまった。
でも——ゴルフも屋久島も、逃げていかない。必ずリベンジする。そう思うと、不思議と前向きになれた。
この1ヶ月で一番感じたこと——それは、「健康って、本当にすごい」ということだ。
何気なくトイレへ行けること。普通に立ち上がれること。歩けること。それがどれほど豊かなことか、転んで初めて、骨の髄まで分かった気がする。
そして、毎日少しずつ良くなっていくことの喜び。
昨日より今日、今日より明日。回復していく自分の体を見つめながら、私はこの怪我を「成長の時間」として受け取ることができた。
春へ、そして自分へ
春が近づいている。
虫も鳥も、土の中でもぞもぞと動き出す季節。私もそれと同じように、ゆっくりゆっくり、もう一度外の世界へと踏み出していこうと思う。
最後に、自分自身に言いたい。
よく頑張ったね。本当に、よくやったね。と
