間一髪、救済事件
「ガネーシャ〜〜私の時計知らん??
数日前まで、ここに置いてあったのに……見つからへんね〜」
私の小言は、ガネーシャにとっては雑音にしか聞こえないらしく、お気に入りのコミック雑誌を開きながら、あんみつを食べているのです。
それもそのはずである。
私の時計というのは、昨年の春に、大枚を払って購入したApple watchです。
この時計の使用にあたっては、装着した時点で暗証番号を入れないと起動しないシステムになっているので、勝手に誰かが使うなんてあり得ないわけです。
では?私が落としたって?
まさか〜?!
なぜなら、この時計は毎日充電が必要ですから、この時計を外すところは充電器の付近か、お風呂場の脱衣所ぐらいなのです。
どこかで紛失したなんて、ありえないわけでして…
後回し行動が悲惨な結果に…
そして、「あ、仕事の時間だわ!」とか、「食事の用意の時間だわ!」「あ、洗濯干すの忘れていたわ!」とかで、またたく間に数日が過ぎていました。
この数日間の行動を振り返ってみましたが、特になくすような行動もなかったので、もう一度、引き出しや鞄を再チェック。
それでも無い!
半分、いつか出てくるんじゃない〜。なんてたかくくっていたのですが、ふと目線を下にずらすとゴミ箱が…
もしかして…
ギヤ〜!!!
サイドボードには乱雑に置いてある書類の山。この書類を動かしたときにゴミ箱に落ちてしまったのでは??
で、覗き込んでみたもののゴミはとっくに可燃性ゴミ袋の中に、そして、今朝、ゴミを外のゴミ収集場所に持って行った後だったのです。
大慌てで、早朝出したゴミを回収にいき、たんまり入った数日間の生ゴミの中をひっくり返すこと数分…
ありました〜!(ホッ)
後、数十分で清掃車のトラックいきの前の救済事件です。
無くても大丈夫みたい?
数日の経緯を振り返ってみて、この時計なくても大丈夫かもしれん?!と思うようになってきました。
もちろん、時計は大変便利なグッツですが、本当に必要ならば見当たらなくなった時点できっと必死になって探しているでしょう。
数日間は仕事で忙しかったことは事実ですが、もしこれが、
- 財布だったら?
- 電話だったら?
- クレジットカードだったら?
- 鍵だったら?
きっと、時間をさいて、その日に必死で探していることでしょう。
このように、緊急性のあることはその時点で、必死になっているのです。そう、無意識に…
本当に必要か?
このようなことを体験することで、本当に必要か?を自分で問うことができます。
もちろん、時計は便利ですから今でも愛用中ですが、生活の中にはこんな物が溢れかえっているのです。
そしてこれがあるから、本当に必要な物がわからなくなっているのかもしれません。
まとめ
本当に必要か?必要でないか?
これは物だけに限ったことではありません。
時として、時間も人間関係も時として問われることがあります。
失ってわかる、大切なもの、大切な時間。
失う前に気づきたいものですね。